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 地面を薄く、白く覆い尽くした雪の上に真っ赤な鮮血が飛び散る。其の周りには、幾人ものが倒れ伏していた。其の光景は、此の大国にとって既に日常的になりつつある光景である。王は、大飢饉が起ころうとも国庫を開放せず、水害が起ころうとも放っておき、酒や女に溺れ、奸臣がはこびり、賢臣は次々と消え、宮廷は正常に機能してはいなかった。

***

「王は何故、自らを悪役に仕立てる?」

 目の前の傾国の寵妃と呼ばれている女が聞いた。実際は此の国の建国当時から知っている大妖怪だ。何人もの王を見てきたのだろう。或るときは、恋人として、又或るときは母として……
 そうして、此の国を見守ってきた。

「どれほど優秀な法を作った大国でもいつかは滅びる。賢王と名高い父上は、様々な政策を施してきた。が、さして効果は無かった。此の国を立て直すことが出来なかった」
「ふむ、確かにあ奴も色々躍起になっておったな。王は此の国を立て直す気は無いのか?」
「我に出来ることは、民が迷わないようにさせるしかあるまい。誰もが迷わないように、誰もが憎む存在でなければならない。ならば、愚王のほうが良かろう」
「時代が違えば、賢王と呼ばれたのかも知れるな」

 ありはしない。どの時代に生まれようとも、きっと目の前の妖怪女に骨抜きにされただろうから。

「まさか、私は平凡な王で終わったさ」
「そうだな、良臣処罰すると謂いつつ、反乱軍や、国外に逃がす。金も持たせてなぁ、なぁ王よ、確かに莫迦だな。やるなら、どちらにしても徹底的にやるべきだ」
「莫迦か、誰もが心の中で思ってはいても口にしたのはお前だけだな」
「ふんっ、私を誰だと思っている」
「はは、確かにな。では、一応聞くが、逃げんなのか?」
「再度言おう。莫迦か!」
「明朝には、反乱軍の者たちがやってくるぞ。寵妃と名高いお前は目の敵として殺されるぞ」
「私を誰だと思っている。此の国の始まりから知っている魔女ぞ。たかが、人間如きに殺られるわけが無かろう」
「…年増」
「………」

 睨まれる。本気で怒ったかと思っていればあっさりと流される。

「冗談だ、すまぬ。傾国の妃が魔女と知ったら民はお前は目の敵にするであろうな」
「『魔女が怪しげな術を使い、王を惑わした』とでも謂うのであろうな」
「そうだろう。知れば、まだ世界に生き残っている魔女達は皆、迫害されそうだな」
「ふん。傾国な華として、恨まれるには十分だ。魔女達からも人間の男を愛したとして追放されている。心配は要らん」

 遥か昔に、魔女の禁忌を犯し追放された女

「そうか」

くすっ。

「何だ?」
「いやな、王は何だかんだ謂って城の者に慕われておったのう」
「其れはなかろう」
「即答か、」
「当たり前だ、私は城の者達と交流があったわけではないからな」
「其れを謂ってしまえば、終わりだがな。残って居るものの大半は爺や婆だからな」
「父たちが作り上げてきた国が懐かしいのだろう。老人たちは私の幼い頃を知っているからな、察しているものも中には居るだろう」
「ああ、私もそう思っていたのだがな。此れで此の城も見納めだと歩き回っていたら年若い者たちが幾人も残っていてな、老人たちが必死に城から逃げるように説得していたよ」
「………」
「ハハ、驚いて声も出ぬか。私も驚いたよ、説得を手伝えと巻き込まれて話を聞いたのだがな」
「何であった。理由は」
「声を掛けていただいた。賛辞をいただいた。礼を申し上げていただいた。だと」
「…は? それだけか」
「ああ。全く持って普通の者だったと知った者たちが残っていたよ」
「意味が分からん」
「『己の主君は道を踏外した者ではない』と分かってしまったのだろう」
「気紛れと、偽りと思わなかったのか?」

 嬉しく思えた。そして、申し訳なかった

「意味が無かろう。王にとっても、下々の者にとっても」
「そうか、其の者たちはどうした」
「王が哀しむ。王を思ってくれるのならば、逃げろといって叩き出した」
「解せぬな。たった一度言葉を交わした程度で死を受け入れる気になるのか?」
「嬉しかったのだろう、其の者たちは」
「ありがたい、と思うな。私になんぞを慕ってくれて」
「確かにな。まぁ、もっとも此の私が愛してやったのだ。光栄に思え」
「はは、惚れたほうが悪い。お前がいつも言っていることだろう」

 愛してくれた。其の事実が嬉しかった。そして、惚れたものが悪い。子も見ることなく、愛したものと寄り添うことも出来ないものなど愛した最高の女が悪い。私なぞを愛した、魔女の長が…

「むっ、人の揚げ足を取るな」
「他の後宮にいる者達は逃げたか?」
「当然だろう、お前を愛したものはいないからな。親から無理やり嫁げと謂われて来たのだからのう」
「不憫なものだな。女は親に逆らえず謂われるが侭に行く他ない」
「ふんっ、どの時代の権力者の娘はそうやって生きるしかない。嫁いだ先で幸福になれるかは運次第だな。王は一度も召されなかった。其の事実が幸せかどうかは知らんがな」

 可哀想だと、思う。自分の意思ではなく強制され、愛するものと引き離され、愛することも無く、愛してくれもしない男の元に行くのはどのような想いであったのだろう。そして私は、あの魔女以外愛する気にもなれなかった。

「知っていたか」
「知らんと思っておったのか。女たちの態度で其れ位分かるわ。まぁ、中には相談しに来る者もいたのう」
「相談する者等要るのか? お前に」
「私は、他の無理やり妃にされた者には優しかったからなぁ。己の欲の為に来た高飛車な女からは庇って
おったしのう」
「何を相談されていた?」
「素直に私が口を開くと思うかえ?」
「いや、全く」
「大抵の女は己の身の振り方を聞きに来ていたよ」
「珍しく簡単に答えるな。で、どう答えた?」
「喧しい。国はもうじき滅びるから己らの男が反乱軍に恐らく居るであろうから、待てと謂っておいたよ。ああ、王は手を出さんから安心しろともな」
「見も蓋も無いな」
「事実であろう。此れほどイイ女がおって、他の女に手を出すとは何事だ?」
「お前は見てくれだけは一級品だからな」
「だけとは何だ、だけとは。王よ」
「中身は如何だと問うのだ。魔女殿」
「王も似たようなものだ」
「まぁ、幸せなものなのだろうな。私は」
「ほう、変わっておるのう。普通はうらむ者もおるほどだというのに」
「滅びを、悼んでくれる者がいてくれるのだから幸せだろう」
「そうだな。新たな国が出来ることを喜ぶ民の中に滅ぶ国を少しでも哀れむ者も少しはいるのだからな」
「ああ。…しかしいつかは滅びが必要だ」
「当たり前だな。幾ら優秀な王でも何代も続くわけもなく、また、人も世も移り行く。とうの昔に出来た法が今の世に通じることも少なく、ずれも生じる。ずれが大きくなれば歪になり壊れる。壊れれば代わりの新しいものが要る。其れが国の再生となる。多少の犠牲を伴ってな」



 此の魔女は幾つの国の崩壊を見てきたのだろう。分かっていただろうに、国が滅ぶと。
 なのに何故残ったのかが全く分からなかった、そして今も。己が愛した男が作った国がなくなるのが忍びなかったのか、それとも、私の為にいてくれたのか、

「犠牲は滅びの国に縋りつく者か……」
「違うな。其の者たちは滅びに瀕している国を良しとし甘い蜜ばかり吸っていた者共だ。どこが犠牲者だ」
「ならば誰が、何が、犠牲だ?」
「綻び、崩壊までに間に死んだ者達だな、国が病んだと知らしめる為の生贄。人は犠牲を知らなければ動けん。また」
「また? まだ犠牲が要るのか……。民には申し訳ない限りだな」
「本当にな。真実は知れない方が幸せというが、更なる犠牲は国の崩壊の真実を知ってしまったものたちだな」
「…ああ。知れば、新たな国の誕生を心の底からは喜ぶことは出来ん。其れはいずれ迷いとなる。迷えば新時代に取り残される。だから犠牲か。なるほどな」
「全ての民に幸せになってもらいたかったのだがな」
「まあ、よい。王よ、一つ聞きたい」
「なんだ?」
「生きたいと思うか?」
「思わん」
「即答だな」
「私は王だ。此の国の責任は私に在る、責任を放り投げるわけにはいかない」
「そうか…」
「すまないとは思う。だが、これは王としても、私一個人としても既に心に決めたことだ」

 本当にそう思った。生きて、欲しいと…
 …共に死んでくれるというのは嬉しく思えたけれど

「私の言葉を聞いてくれはしないのだろうな」
「ああ、だがお前は逃げろ、そして、生きてくれ」
「私には生きろ、か……。其れがどれほど残酷かわかるか?」
「………」
「よい、生きてやろう。お前の分も、王国の犠牲になった者達の分も。その代わり、」
「なんだ?」
「胸を貸せ」
「は?」






 男の胸に重さが掛かる。魔女は女の顔をし、王の胸にしがみつき声を殺し静かに泣く。

 死を受け入れた最後の王の為に。消え行く国の為に。

 女にしがみつかれた男は王の仮面で女の涙を受け止める。




 国の最期を思って…












 明朝、反乱軍は城内に押し入る。
 王は、処刑された。
 魔女は、見た。
 王の最期を、
 笑った最期の王に、笑みを見せてやった。
 全ての民に幸せであれと、幸福を得よといった王に…
 己が代わりに新たな国を見守ってやると告げていた。
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